『そこに僕はいた』~純粋な少年時代にしか感じられないこと

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師走に「全交響曲連続演奏会」をやっているのご存知ですか。開演から終演まで10時間超。東京の西でくもん教室を開いているすずきです。

皆さんは読む本をどうやって選んでいますか。私は、小学校低学年の頃は親が買ってくれた本を読み、高学年になったら自分で本屋に行って買ってました。でも、その情報源は、塾の先生が勧める本でしたので、いわゆる名作を読むという枠から外れることはなかったと思います。

この本は、「くもんのすいせん図書」になかったら、出会っていない本です。
作家の存在は、中山美穂(昔のアイドル)の元旦那ということで知っていましたが、だから読んでみようとまでは思いません。

こういう出会いがあるから、「くもんのすいせん図書」は魅力的なんだと思います。

さて、この本は、辻仁成という作家の少年時代を綴ったエッセイです。文庫で200ページの中に18もの作品がありますので、気軽に読めますよ。

『そこに僕はいた』は「くもんのすいせん図書」に選ばれています。

私はくもん教室を始めてから、”くもんのすいせん図書”を知り、そこに紹介されている本を、日々楽しみながら、趣味を超えたライフワークとして読んでいますよ。

面白そうな本がたくさん紹介してあって、ゆうすけが、また勉強しないで本読んじゃうわね。

「くもん教室」は、独自の教材(算数・数学、英語、国語)を使って、「自分で学ぶ力(自学自習力)」を養います。「可能性の追求」を大切にしている教室です。

「くもんのすいせん図書」は、子ども達に人気が高く、優れた内容の650冊を選りすぐって紹介したものです。詳細は、「くもんについて」をご覧ください。

『そこに僕はいた』

『そこに僕はいた』、あーちゃんという義足の子を遊んでいた少年時代の話しです。

「あの子はね、身体が不自由なんだから、一緒に遊ぶときは気をつけるのよ。もしものことがあったら皆の責任になるんだからね」

『そこに僕はいた』 辻仁成 新潮文庫 P39

子供たちの母親の一人が僕のところにやってきてこういいます。
僕は、「どうして?あの子と遊んじゃいけないとですか?」と聞き返します。

子どもって本当にすごいなって思います。
作者は作品を書くに当たって、なるべく忠実に、大人の発言を書いたと思うのです。(子どもの記憶ではありますが。)

これを文字通り読むと、「遊んじゃいけない」とは言っていません。でも、その裏の本心を子どもは瞬時に見抜いてるんですよね。

ハンディを背負っている人という意識が微塵(みじん)もなくなったときに起きる奇跡と、それに続く展開が印象的な作品です。

『読書ライバル、ヨー君』

ここに出てくる作者のお父さん、本当に笑えます。隣に越してきた家族の長男が、僕の同級生で、負けず嫌いの父親は、ヨー君(隣の長男)がヘッセを持って社宅の門の前で立っていたことを僕に告げ、『車輪の下』を買ってくるのです。

そのことが、僕にどれほど影響を与えたことでしょう。
本が大嫌いだった僕が、それを機に作家にまでなってしまったというのですから、人生本当に摩訶不思議(まかふしぎ)ですね。

『Xへの手紙』

衝撃的な体験が書かれているのがこの本です。

「中学生の頃、ホームルームの時間にXへの手紙というのがあった。」から始まるこの作品の前半は、辻君の苦悩で胸が苦しくなってしまいます。

先生が名前を書いてある紙を配り、受け取った人は書いてあるその名前の人物のことを作文しなくてはならないのである。しかしそこで問題なのは書くほうは無記名で書く、つまり何を書いても書いた本人以外には誰が書いたか分からない仕組みになっていることなのだ。先生は時間になると全員から紙を再び集めて、今度はその名前の本人にわたすのである。

『そこに僕はいた』 新潮文庫 辻仁成 P122

ガーン、、、
こわくないですか。
いや、これヤバいでしょ。

こんなことが公立中学校の現場で行われていたとは。。。
ストーリーの展開は、是非この作品を読んで、追いかけてほしいです。

保護者さまへ

「辻仁成」と検索すると、上位にX(旧Twitter)のアカウントが出てきます。
不定期ですが、生きるのに疲れている人、辛い思いをしている人、孤独にさいなまれている人に向けて、「ひとり言」を書き続けています。
やさしくて、すごくナイーブな人なんでしょうね。

この作品を知る前後に、私は、テレビドラマ化した漫画の原作者が自殺したことについて、彼が投稿した文章がニュース記事になっているのを読んだことがあります。
そのとき私は、ある一文を読んで、ぐっと来たのを今でも覚えています。

検索したら、幸いご自身が編集長をしているウェブサイト(Design Stories)に載っていましたので、リンクをつけておきます。

「ものをゼロから生み出す者は、人に言えないほど苦しい思いをし、作品を自らの血の中からひねり出している。そして、その作品は子供のような存在なのだ。」

エッセー一つとっても、同じ思いで書いているのだと受け取りました。

当ブログは、公文式教室を開設していた元指導者が、個人として執筆・運営しているものであり、株式会社公文教育研究会およびそのグループ会社(本部)とは一切関係ありません。

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