『二十四の瞳』~小説の魂は細部に宿る

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「2億4千万の瞳-エキゾチック・ジャパン」って、やはりこの作品をもじったんですね。東京の西でくもん教室を開いているすずきです。

私は今このお話を、何度か読み返しながら書いています。

「小説の魂は細部に宿る」

今回は、このことを伝えたいです。

作者の壺井栄は、この物語に自分の魂のすべてを投入しているから、「一行たりとも読み飛ばしてはいけない」ですね。改めて作家ってすごいなと思います。

『二十四の瞳』は「くもんのすいせん図書」に選ばれています。

私はくもん教室を始めてから、”くもんのすいせん図書”を知り、そこに紹介されている本を、日々楽しみながら、趣味を超えたライフワークとして読んでいますよ。

面白そうな本がたくさん紹介してあって、ゆうすけが、また勉強しないで本読んじゃうわね。

「くもん教室」は、独自の教材(算数・数学、英語、国語)を使って、「自分で学ぶ力(自学自習力)」を養います。「可能性の追求」を大切にしている教室です。

「くもんのすいせん図書」は、子ども達に人気が高く、優れた内容の650冊を選りすぐって紹介したものです。詳細は、「くもんについて」をご覧ください。

小学校の先生と生徒の物語ではなかった?!

この物語は、田舎の村のさらにその突端にある岬の分教場(本校から離れた所に住む児童・生徒のために設けられた小規模の分校)に通う12名の小学生と先生の交流の物語です。

ところが、読んでみるとバリバリの反戦小説であることが分かります。後半に入れば入るほど、作者の大きな悲しみは怒りに変わり、それがこの作品の原動力になっているかのようです。

大石先生は、長男の大吉と、名誉の戦死なんてしてほしくないと語るシーンがあります。

「そしたらお母さん、靖国の母になれんじゃないか。」
これこそ君に忠であり親には孝だと信じているのだ。それでは話にならなかった。

「あああ、このうえまだ靖国の母にしたいの、この母さんを。『靖国』は妻だけでたくさんでないか。」

しかし大吉は、そういう母をひそかに恥じてさえいたのだ。軍国の少年には面子(メンツ)があった。彼は母のことを極力世間にかくした。

『二十四の瞳』 壺井栄 角川文庫 P199

こんな時代が100年もたたない少し前にあったということを、私たちは忘れてはいけないと思います。間違った教育を受けて育った子への心配と、親としてそして教育者としての悲痛な心の叫びが、行間からあふれだして、圧倒されてしまいます。

「あか」とは。共産主義って何?

謄写版の『草の実』は、すぐに火鉢にくべられた。まるで、ペスト菌でもまぶれついているかのように、あわてて焼かれた。

『二十四の瞳』 壺井栄 角川文庫 P131

『草の実』とは、稲川先生が受け持っていた六年生の文集です。

稲川先生は、新聞に「純真なる魂を蝕(むしば)む赤い教師」と報じられて、一朝にして国賊に転落させられてしまったのです。

以下、少し長いですが、引用します。

ただ『草の実』の稲川先生が、その治安維持法という法律に違反した行動のために、牢獄につながれ、まもなく出てきてからも復職はおろか、正当なあつかいもうけていないということだけが、その法律とつないで考えられた。(中略)・・・ただ、稲川先生はひとり養鶏をしながら世間ばなれの生活をしていた。彼が世間をはなれたのではなく、世間が彼をよせつけないのだ。彼の卵は、毒でもはいっているかのようにきらわれ、ひところは買い手もなかった。

『二十四の瞳』 壺井栄 角川文庫 P176-177

これを読んでどう思いましたか。

「赤い教師」が分からないと、ちんぷんかんぷんですね。「あか」とは共産主義者を指す言葉で、共産主義とは、「土地や財産などはすべて国のものとなり、みんなで共有し、生産されたものも、みんなのものとして、均等に分配するという考え」です。

稲川先生が子どもたちにどこまでこの思想を教えたかは分かりません。また、この思想がなぜここまで弾圧されたのかは、もう少し調べてみないと分かりませんね。

それにしても、政府、新聞、それを見た世間の仕打ちはひどすぎませんか。

「時代は人を三匹の猿にならえと強いるのだ。口をふさぎ、目をつむり、耳をおさえていればよいというのだ。」

作者はこう書いて、この時代を痛烈に批判しています。この作品ができたのは、戦後7年を経た1952年ですから、戦争を挟(はさ)んで、ようやく批判が許される時代が来たことが分かります。

でもこれは、過去の時代の話しと簡単に片づけられない気がするのです。自分で調べて、自分の頭で考えて判断し、はっきりと自分の意見を言えないと、また同じことが起こってしまうと思います。

生徒全員が主人公!12人の半生を読み返しながらまとめてみました‼

物語にはたくさんのエピソードがちりばめられています。生徒に関するものは、ここには一つも紹介しないよう努めました。

その根底に流れる、「戦争なんて絶対にしてはいけない」という思いは、大吉のエピソードで、また、戦争に突入していく過程で作者が感じていた「時代の違和感」は、稲川先生のエピソードで触れました。

さて、私は冒頭で、「小説の魂は細部に宿る」と書きました。
何気ない子どもの一言、家庭環境の記述、先生との会話、親の対応。それは、どれ一つとっても、物語に欠くことのできない要素でした。

人の人生は当然に一つにつながっていますよね。物語に出てくる一つひとつの光景(点)を、線としてつないでいくと、生徒一人ひとりが目の前に浮かんでくるようです。

読み終えたあと、12人の半生を線でつなぎたくなり、全員の名前、あだな、家の商売や境遇、卒業後の進路などをまとめてみました。

夜中にそんなことしていたら、涙でぐしゃぐしゃになってしまいました。

保護者さまへ

読まれた方も多いと思います。私が読んだのは小学校4年生でしょうか。文庫で読んだ初めての本だったような気がします。いくらか忘れましたが、100円台だったような記憶があり、子どもながらに「安い!」って思って買いました(もちろん、お小遣いです)。

私のブログの「ネタバレ」になりますが、書く前に、他の人がこの作品をブログにどう書いてるんだろう、と気になりました。「二十四の瞳 ブログ」で検索すると、「ほんとうは怖い『二十四の瞳』」(思いっきりネタバレなのでご注意ください。)という文章に出くわしました。

ふんふんと思いながら読み進めているうちに、ある箇所に目が留まりました。「あー、確かにそんなシーンあったな」ぐらいにしか思い出せなかったのですが、その子の半生が、その情景を中心に線で繋がって、涙が止まらなくなってしまいました。

ああ、こんな細部にまで作者の思いが込められているんだと気づかされると、私は居ても立ってもいられなくなり、もう1回読もうと決めました。

当ブログは、公文式教室を開設していた元指導者が、個人として執筆・運営しているものであり、株式会社公文教育研究会およびそのグループ会社(本部)とは一切関係ありません。

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