がぜん読みたくなる “小説の冒頭”①

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「何もかも目覚めてく 新しい私」。失礼!これは歌の冒頭でした。東京の西でくもん教室を開いているすずきです。

今まで小説を7作紹介してきましたが、お読みいただいたみなさんは、その冒頭を覚えていますでしょうか。

小説の冒頭って印象に残りませんか。少なくとも小説の最後よりは、覚えていることが多いように思います。

例えば、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」これは、夏目漱石の『坊ちゃん』の有名な冒頭ですが、「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」という締めくくりは、そこまで覚えている人は少ないと思います。

今回は番外編として、小説の冒頭をご紹介したいと思います。

『夏の葬列』『一房の葡萄』『ビルマの竪琴』『二十四の瞳』は「くもんのすいせん図書」に選ばれています。

私はくもん教室を始めてから、”くもんのすいせん図書”を知り、そこに紹介されている本を、日々楽しみながら、趣味を超えたライフワークとして読んでいますよ。

面白そうな本がたくさん紹介してあって、ゆうすけが、また勉強しないで本読んじゃうわね。

「くもん教室」は、独自の教材(算数・数学、英語、国語)を使って、「自分で学ぶ力(自学自習力)」を養います。「可能性の追求」を大切にしている教室です。

「くもんのすいせん図書」は、子ども達に人気が高く、優れた内容の650冊を選りすぐって紹介したものです。詳細は、「くもんについて」をご覧ください。

主人公は久々にこの地に戻って来た

海岸の小さな町の駅に下りて、彼は、しばらくはものめずらしげにあたりを眺めていた。駅前の風景はすっかり変わっていた。

『夏の葬列』 山川方夫 新潮文庫 P6

果たして何文までを「冒頭」として許されるのでしょうか。厳密には一文だけかもしれませんが、二文くらいまでつなげないと、なかなか想像力は膨らみませんよね。

『夏の葬列』の場合、二文目で「あっ、主人公は久々にこの地に戻って来たんだな。」ということが分かります。そして、「久々」であることは、一文目の「しばらくものめずらしげに」という副詞にも暗示されていたことに気づきます。

ここからあと四文も進むと、物語は完全にその輪郭を見せ始め、一気に読者をその世界に引きずり込んでしまいます。

やっぱり作家って、すごいなあ。

僕の学校の教師は西洋人ばかり

僕は小さい時に絵を描くことが好きでした。僕の通っていた学校は横浜の山の手という所にありましたが、そこいらは西洋人ばかり住んでいる町で、僕の学校も教師は西洋人ばかりでした。

『一房の葡萄』 有島武郎 岩波文庫 P7

これは、『一房の葡萄』の冒頭です。僕とクラスメートのジムが中心となって物語は進みますので、この書き出しはごく自然ですね。

出だしの「絵を描くことが好きでした」は、確実にその後の物語と関係しますね。さりげなく、そしてある意味はっきりと「絵を描くことが好きな少年」を最初に宣言する当たりが、これまたさすがだなと思いました。

ただ、ちょっと驚いたのは、学校の先生も西洋人ばかりだったのですね。その後の物語では日本人の女の先生しかでてきませんので、余計にその先生の日本精神っぷりが際立ちます。

本当に作家って、すごいなあ。

兵隊が合唱⁈

 兵隊さんが大陸や南方から復員してかえってくるのを、見た人は多いと思います。みな疲れて、やせて、元気もなくて、いかにも気の毒な様子です。中には病人になって、蠟(ろう)のような顔色をして、担架にかつがれている人もあります。
 こうした兵隊さんたちの中で、大へん元気よくかえってきた一隊がありました。みないつも合唱をしています。

『ビルマの竪琴』 竹山道雄 新潮文庫 P5

『ビルマの竪琴』はどうしてもここまで紹介したくなりました。これを全部冒頭とは言わないかもしれませんが、どんなに飽きっぽい人間だとしても、かりそめにも読もうと思った人であれば、ここまでは読みますよね。

「兵隊が合唱?どういうこと?」って思いますよね。そう思ってしまったみなさんは、もう作者の術中にはまっています。いや、これは児童向けの小説ですから、そんな計算というよりは、どうしたら子どもたちが読んでくれるだろうと、作者が考え抜いたのでしょう。

このお話しは、第一話の「うたう部隊」から始まるのですが、その前に文庫版でほぼ1ページ分、短い前書きのようなものがあります。それが、上手に歌う兵隊さんが横須賀に上陸するシーンなのです。

この1ページがあるから、話が急にビルマの戦地に戻っても、読者はついて行けるのですね。

いやあ、作家ってすごいなあ。

ふた昔半もまえのこと。

十年をひと昔というならば、この物語の発端は今からふた昔半もまえのことになる。世の中のできごとはといえば、選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。昭和三年四月四日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた。

『二十四の瞳』 壺井栄 角川文庫 P3

この冒頭結構、頭に残りませんか。みなさんは、十年前といったら遠い昔かもしれませんし、十年後といったら想像がつかないかもしれません。ましてや「ふた昔半まえ」なんて生まれていないから、大昔となるのでしょう。

でも、私からすれば「ふた昔半まえ」は、もう大人でした。もっと言えば、その倍も生きています。だから、「今からふた昔半もまえのこと」って、そんな強調すること?って感覚なのです。

しかも、壺井栄がこの作品を書いたのは53歳のときですから、作者自身もちゃっかり倍生きているのです。なので、これはわざとこのように強調して書いたのではないかと思うのです。

1928年から1952年。戦前から戦後にかけて社会が180度変わる激動の時代を、こう表現したんだと思います。すべての価値観がひっくり返ってしまったのですから、「もう大昔すぎて分からない時代の話しです」と、強烈な皮肉を言いたかったのかもしれません。

いやはや、作家ってすごすぎるなあ。

当ブログは、公文式教室を開設していた元指導者が、個人として執筆・運営しているものであり、株式会社公文教育研究会およびそのグループ会社(本部)とは一切関係ありません。

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