『一房の葡萄』~小学校の先生ってすごい!先生は愛のかたまりだった

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「はじまりはいつも雨」、もとい「はじまりはいつも愛」。

東京の西でくもん教室を開いているすずきです。

『一房の葡萄』には、子どもが学校で起こしたちょっとした事件を題材に、先生の凛とした対応と生徒への愛が、美しくさわやかに描かれています。

あなたは、少年時代、穴があったら入りたいほど恥ずかしいこと、何でこんなことやってしまったのだろうと後悔したことはありませんか。

そんなとき、もし先生が救世主だったら……

『一房の葡萄』は「くもんのすいせん図書」に選ばれています。

私はくもん教室を始めてから、”くもんのすいせん図書”を知り、そこに紹介されている本を、日々楽しみながら、趣味を超えたライフワークとして読んでいますよ。

面白そうな本がたくさん紹介してあって、ゆうすけが、また勉強しないで本読んじゃうわね。

「くもん教室」は、独自の教材(算数・数学、英語、国語)を使って、「自分で学ぶ力(自学自習力)」を養います。「可能性の追求」を大切にしている教室です。

「くもんのすいせん図書」は、子ども達に人気が高く、優れた内容の650冊を選りすぐって紹介したものです。詳細は、「くもんについて」をご覧ください。

ところで、学校の先生って、どんな瞬間が最もうれしくて感動するのでしょうか。そんなこと、考えたことありますか。

幼少時代の思い出すだけで顔が真っ赤になるような逃げ場のない体験。

この作品は1920年に発表した小説(創作童話)で、有島武郎自身の体験に基づいたものと言われています。
文庫本で16ページの10分で読める短編です。

絵が描くことが大好きな主人公の僕は、同じ学校に通う西洋人のジムが持っている絵具がうらやましくてたまりませんでした。

絵具がほしくてたまらないけれど、臆病で、親に買ってくださいという気になれない僕は、ある日、ジムの西洋絵具をポケットに入れてしまうのです。

そのせいで「もう僕は駄目だ」と絶望の淵に追い込まれてしまいます。

このことが一房の葡萄というタイトルとどうつながっていくのでしょうか。

明治時代の日本の教師おそるべし!凛とした愛がかっこよすぎる。

私は小学校5年生のとき、この小説の一部を、学習塾の国語の文章題で読んだことがあります。

冒頭に書かれている、「藍色」と「洋紅色」という少々難しい色を表す単語が印象的で、物語をドキドキしながら読んだ感覚は今でも残っています。

ところが、事件までは覚えていても、その先の記憶がないのです。。。

もしやと思って、今回40数年ぶりに読み返してみたら、果たして私は、本を最後まで読んでいませんでした(笑)。

代わりに、その後の先生の対応が神すぎて、涙でぐしょぐしょになってしまいました。

明治時代にはこんな先生がいたのですね。「若い女の先生」と書かれていますので、ベテランの先生ではないのです。

日本の教育の歴史を振り返ると、当時の教師像は「師範タイプ」などと言われていて、残念な評価で括られたりもしているのですが、今の時代、こんなに凛として、迷いがなく、そして愛のある先生がどれほどいるのでしょうか。

自分にとって、かけがえのない先生との思い出。

私がこの本を読んでほしいと心の底から思ったのは、小説の最後に出てくる一節に関係します。

それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは遇えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

『一房の葡萄』 有島武郎 岩波文庫 P22

私は小学生のときではないのですが、中学生のとき、忘れられない音楽の授業がありました。今では考えられませんが、当時は校内暴力がひどくて学校は荒れていました。音楽の先生は優しすぎて馬鹿にされていたのです。

でも、ある授業で、ビゼーの「アルルの女」~ファランドールが、いかに奇跡的なハーモニーを奏でる名曲であるかを、録音テープを流しながら、音楽室の大きな黒板を使って、音符を書きながら、ものすごい熱量で語ったのです。

あのときもほとんどの生徒が話を聞いていなかったと思います。しかし、私はあのときの光景を今でもはっきりと覚えています。先生の話に完全に心を奪われてしまい、鳥肌が立つほど感動しました。

私はこの授業を受ける前から、クラシック音楽が好きでしたが、あの日あの時から、私はクラシック音楽にますます没頭するようになった気がします。その後、音楽が奏でる奇跡のような美しさを感じるとき、あの日の事を思い出します。

先生へ伝えたい感謝の一言。それを思わずにはいられない。

学校の先生は、毎年のように卒業生を送り出して、また新しい生徒に、勉強を教える仕事です。続けていけば、教え子はすごい数になりますね。

でも、思うのですが、いったいどれくらいの生徒から、面と向かって感謝の気持ちを聞くことがあるのでしょう。何年か経って、いや何十年か経って、生徒から「あのときはありがとうございました」と言われたら、泣いてしまうほどうれしいのではないかと思うのです。

中学校を卒業してから、私はその先生と、一度も会っていません。今生きているかどうかも分かりません。一度でいいから、あのときの感動を先生に伝えたかった。年を重ねるにつれ、このことに対する後悔が重く深くなっています。

感謝の気持ちがあれば、そのことを是非先生に伝えてください!今の時代、明治時代に比べたら、明らかに情報は得やすいですから、先生と連絡を取るのは簡単なはずです。そうすれば、私のように後悔することはなくなるでしょう。

社会人になると、若いうちは仕事に没頭してしまい、学生時代に思いをはせることは、なかなかしないものです。

この本に登場する先生がどんな対応をしたのかは、本文を是非読んでみてください。神対応は私の感じ方なので、いろんな感じ方があると思います。

そして、あなたが『一房の葡萄』を読んだ後、何を感じたのかも、いつかぜひ聞かせてください。

保護者さまへ

くもんのすいせん図書には、偕成社の「一ふさのぶどう」が紹介されています。原典に忠実ながらも、小学校中学年用に、漢字の表記などを変えているようです。岩波文庫も原文という訳ではなく、作品の表記の現代化をはかっていますので、小学校高学年以上であれば、読めると思います。

岩波文庫は、有島が生前に残した唯一の創作童話集『一房の葡萄』(ほか3篇)に、もう1篇童話を加えたものです。解説に、作者自身の子どもたち3人に読ませる目的で書いたものとありますので、いずれもお子さんが興味をもって読めるものになっています。

子どもが持つナイーブな感情に、寄り添い向き合う優しい父が、子どもたちに力強く生きていくことを願って書いた物語だと思います。

朗読について

この小説は、非常に多くの人がYouTubeに朗読を上げています。朗読すると、約25分程度なので、聴くにはちょうど心地よい長さなのだと思います。

ここでも私は、ナレーター窪田等の朗読をお勧めします。

その他は、ほとんど女性のナレーターばかりです。何でかなと思ったら、作品の後半は、先生のセリフしかないのですね。それは、思わぬ発見でした。

当ブログは、公文式教室を開設していた元指導者が、個人として執筆・運営しているものであり、株式会社公文教育研究会およびそのグループ会社(本部)とは一切関係ありません。

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